成文小学校 1969
レクイエム
1969当時、その時代、その場所で共に学び遊んだ友達、恩師
卒業記念(ともだち)文集からの当時 将来の夢 簡略記載致しました。
今、先に他界された皆様のご冥福をお祈りいたします。
良き友達の追善供養とさせていただきます。
1 組
西川綾子 先生
宮沢賢治の詩より
自分だけの一番好きな生き方を、自分の心に刻みつけるように書きつけ
そういう生き方をするように努力した人と記されました。
いかなる時でも誠実な人でありたいという気持ちを忘れないで。
卒業記念25周年、挨拶
西川先生 には 、残念ながら成文小学校時代には担任として
一度も受け持って頂いたことがありませんが、吉澤先生から
西川先生にまつわる伝説の話を聞いたことがあります。
それは皆さんは6年生の夏の林間学校に
奈良の吉野に行ったことがありますが覚えているでしょうか?
その林間学校の日程に付いて教育委員会から2泊3日の予定を
1泊2日に変更するように強く指摘されたようです。
西川先生は学年主任だったこともあり、2人の若い吉澤先生と大和先生の
指導的立場として、かなり悩み考えた結果、
子供たちが楽しみにしていることに、ガッカリさせる訳にはいかない!
と言って、吉澤先生と大和先生に責任は全部私が引き受けるから
2泊3日で強行しなさい。
と言われて予定通りの2泊3日で行われたそうです。
西川先生は後に、教育委員会に呼び出されたそうですが
注意だけで済んだそうです。
だから吉澤先生は西川先生の判断力に共感を得られて
他の小学校ヘ転勤になっても行事ごとに独自性を持たせる
情操教育を目指された見たいです。
吉澤先生は、西川綾子先生のことを、本当に尊敬する学年主任だったと!
当時の出来事を話してくださいました。
現代社会では、教師に限らず社会や政治でも
責任逃れや言い訳をされる人が多い中で女性でありながら、
子供たちのことを考えて、若い先生の成長を願い、
困った時の責任として、
全て私が責任取るから、
やって見なさい!
と言う信頼感を信じて任せる事の大切さを教えて頂いたように思います
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成文小学校卒業以来、西川先生に再度お会いしたのは、
1973年 西宮東高校当時一年生の文化祭でした。
同級生と話しながら、二階渡り廊下を歩んでいると
前に歩いていた訪問者の方が、振り返り、小走りで
私の前まで、駆け寄って来られました!
何と!その方は、西川綾子 先生だったのです。
「良かったね! 元気でね!」と、数少ない言葉で、
左肩に、手を添えていただいたこと覚えています。
すぐに、目的の方向に歩みを取られたのでした。
おそらく、振り返ってこられるには、声変わりしている
私の声ににもかかわらず、気が付カれたのか、
正面のガラスドアか、何かに姿を見て頂いたのか?
その、西川先生の感性の鋭さには、今も、不明と驚きが
混在して蘇ります。
当時、驚いた私は、簡単な会釈しかできず、
背中を見つめ、お見送り致しました。
後で、確認できた事は、西川先の息子さんが、東高校に
入学しておられ、三年生の時には、同級生だったのです。
そんな、ご縁を思い出しました。
その後25周年の同窓会でお目にかかれる機会があり
当時、Y社、設計課長だった私の名刺をご覧になって、
「私は、教育以外の事は、わからないのよ
ごめんなさいね!」と小声でご返事いただいたことを
思い出しました。
教育にひたむきな、先生の人生の一部に
私たちが、お世話になったこと、感謝致します。
林間学校, 期待, 楽しみ, 出発時間, 家族の見送り
その時が記録されています。協調性の経験を重ねる人生の事始めでしょう。
三日間の経験の機会を与えて頂きました。心の豊かさに感謝します。
1組,2組,3組 サブメニューにて、故人紹介させていただいてます。
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