成文小学校 1969
伊勢志摩
43.5.9~10
本田技研工業株式会社 の訪問見学会
二見興玉神社二ノ鳥居
二見浦海水浴場
明治15年に日本で初めて誕生した海水浴場で、海水浴発祥の地として公認された由緒あるビーチです。かつて大正天皇もここで水泳の訓練をされたと言われています。日本の渚100選にも選ばれた白砂の浜が弧を描く海辺は、眺めのよい快適な海水浴場としてシーズンには海水浴客で賑わいます。
二見浦の名称は皇大神御神幸の途次二見浦に着船せられたとき、倭姫命の御尋ねに大若子命より『速雨二見の国』と御答へしたに初まり、天下の絶勝宇内の霊域として、その名は夙に四方に喧伝せられ、立石(夫婦岩)の前に額づくもの目に相踵ぎ、殊に春秋の佳期には殷盛を極めるものであります。
冒頭に述べるように第十一代垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が皇大神である天照皇大御神を奉戴され、この二見浦に御舟を停められた時、興玉大神が海上の厳島(興玉神石)に出まされ、御神幸を守護し奉り、五十鈴の川上に大宮地を定められました。
そして、未来永劫、皇大神宮大宮地の守護神として鎮まられ、内宮御垣内に興玉神が奉斎されるに至るのです。
尊い御神徳を現わされた興玉神は、皇大神宮大宮地の守護神として尊崇され、厳島は興玉神石と尊称し、立石崎の立石(夫婦岩)に注連縄を張り結界とし、その前に遥拝所を設けて礼拝したのが当社の創始となります。
その後、僧行基が此の地に来りて、興玉神の本地垂迹なりと称して観世音菩薩を本尊となして江寺を創建し興玉社を鎮守の神として同寺の境内に社殿を設け、仏者の手において祭祀が執り行われました。
しかし、明治9年に神仏分離により立石(夫婦岩)前に御造営御鎮座されました。
当時、境内には天の岩屋の内に祭祀せられた三宮神社(三狐神社)が鎮座されており、興玉社と三宮神社が合祀され、明治43年に二見興玉神社と改められました。
鳥羽水族館(鳥羽市) とばすいぞくかん
飼育種数が日本一で、約1200種もの生き物を飼育する水族館です。日本で唯一飼育されているジュゴンは必見です。12のゾーンがあり、毎日アシカやセイウチの愉快なショーも開催されています。一日いても飽きません。
夫婦岩・二見興玉神社めおといわ・ふたみおきたまじんじゃ
縁結びのシンボルとしても有名な夫婦岩がある二見興玉神社。神様の使いである二見カエルが愛嬌たっぷりにお出迎えします。昭和生まれの方は、修学旅行でこの二見の旅館街に宿泊した方も多いのでは。二見シーパラダイスと隣接するめおと横丁にも立ち寄った学校の出身の方には、懐かしさもひとしおの町でしょう。
岩は高さ9m、周囲は44mで古生層の最下部である輝光石と緑泥片石からなり、小岩は高さ4m、周囲10mで方解石からなり、大注連縄の長さは35mあります。
夫婦岩の中央からさし昇る朝日は6月の夏至を中心に5・6・7の3ヶ月間拝されます。
猿田彦大神ゆかりの霊石である「興玉神石」と、岩の間から昇る「日の大神」を拝する鳥居の役割を果しており、日の出の遥拝所でもあります。
大岩・小岩を結ぶ大注連縄は「結界の縄」と称され、夫婦岩の向こうを海の彼方から常世神が寄りつく聖なる場所とされてまいりました。
大岩は男岩・立岩(たていわ)、小岩は女岩・根尻岩ともいわれ、両岩が「夫婦岩」と呼ばれるようになったのは明治以降のことであり、それまでは総称して「立石」、親しみを込めて「立石さん」と呼ばれてまいりました。
当地が古くより立石崎と呼ばれてきたことに由来しております。
その立石を神門とし、興玉神石の遥拝所を設けたのが当社の信仰の始まりであります。天候が良い明け方には夫婦岩の間から富士山を拝する事もできます。
夫婦岩から東北に700m先に海中にお鎮まりになられる霊岩を興玉神石と敬っております。
興玉石、鏡岩、又御膳岩ともよばれてまいりました。
東西240m、南北120m、周囲960m、高さ7mの楕円形をした平岩で、三ヶ所に岩柱があります。
神代の昔、倭姫命が天照皇大御神を奉戴して二見浦に御船で入られました時に、猿田彦大神がお出迎えした霊石で、猿田彦大神出現の霊跡であります。
海上に岩頭が出ておりましたが、宝暦年間の津波で海底が沈下し、今は暗礁となって、現在は船でなければ拝むことが出来ません。
航海の人は澳魂と崇めて伊勢の海の守護神とおそれ敬って航海の安全を祈願し、興玉神石の近くでは漁業も慎しまれています。
4月頃の大潮の時に興玉神石をうっすらと拝する事ができます。